月光の夢


 

 月の美しい夜だった。

 愛用の三味線を背中に背負い、ヘッドフォンにサングラスをした珍妙な格好の男が一人、闇の港を見つめながら先にある美しい満月に、目を細める。

「こんな夜はショパンの幻想即興曲がよく似合うでござる…」

 河上万斉は春の冷えた空気の中で一人夢見心地に呟いた。

 

 珍しく海にも空にも船のない静かな夜。

 万斉はポケットに手を突っ込んだまま暗い夜道を歩いていた。

 ふと、気配を感じ通りの路地裏に目を向ける。

 暗くてよく見えないが何やら人が話をしているようだ。

 多分男女だろう。一人は女物の着物を着ている。

 こんな真夜中に人知れず隠れるように密会など、禁断の逢瀬でも楽しんでいるのであろうか。

 なるほど。今度こういった歌詞でも書いみるかなと苦笑を漏らし、万斉はもう用は無いとばかりに踵を返した。

 だがその時、あの着物の覚えのある柄に一瞬歩みを止める。

 そしてまた振り返ると、今度は目を凝らすようにじっくりと二人を見た。

 ――晋助…。

 細身の体つき。真っ直ぐな艶のある黒髪。その髪は隠すように顔の半分を巻かれた包帯を深く覆っている。

 紛れも無く、万斉が属する鬼兵隊総督の高杉晋助だった。

 その高杉の前で項垂れている長身の男がいる。

 その男にも見覚えがあった。

 あの銀髪は忘れはしない。一度死闘の刀を交わしたことのある、坂田銀時だ。

 その坂田が、まるで空気のように高杉の顎に触れ、指を這わせる。

 そしてゆっくりと顔を寄せ、唇を重ね合わせた。

「……ッ!」

 万斉は息を呑んだ。

 今起きた事実が呑み込めない。

 二人はまるで、自然の事のように互いを拒絶することなく動かなくなる。

 突如、万斉の耳にピアノの音が激しく鳴り響いた。

 ヘッドフォンから奏でられる音楽は、まるで二人の繋ぎを自分へと戒めるかのように容赦なく孤高に響き渡る。

 気付けば、万斉はこの場から逃げるように走り去っていた。

 

「よぉ…邪魔するぜ」

 スラリと開いた襖の後に、耳障りの良い低い声が聞こえてきた。

「……」

 万斉は何も言わず背中を向けたまま胡坐を掻いている。

 襖が静かに閉じ、人が背後の窓辺に座った気配がした。

「覗きが趣味とは頂けねえなァ…」

 くつくつと笑い、男は長い煙管を美味そうに口に咥えた。

「…気付いていたでござるか」

「気付いたのは俺じゃなく銀時だけどなァ」

「……」

 また沈黙が流れる。

 今この人の口からその男の名を聞くのが憚られる。

 万斉は知らず、両手を震えるほど握り締めていた。

「聞きたい事があるんだろ。万斉」

「……」

「お前が聞かないなら、俺から言ってやろうか? それとも…」

「帰ってくれぬか、晋助」

 呻くように呟かれた声に、高杉は口を閉ざした。

「今宵は気分が優れない故、明日も早くに船に戻らねば次の出航が…」

「ハッ…あんな場面見てまだ此処に執着するか」

 万斉がカッとなって振り返ると、初めて二人の視線が絡み合う。

 鋭い眼光で睨みつける万斉に対し、高杉は何の感情も見せず落ち着き払った様子で僅かに口角を吊り上げ、笑っていた。

「…いつからそういう関係に?」

 搾り出すように出た言葉に、高杉は漸くという表情を見せ顔を背けた。

「戦の時からだなァ…」

「……」

「戦争ってのはおっかねぇなあ…。人の身も心も狂わせる」

 煙管を咥え紫煙を吐き出すと、高杉は思い起こすかのように目を細め遠くを見遣った。

「戦況は厳しくなるばかりで毎日仲間が死んで行く。自分を見捨てて行けと言う者、置いて行かない でくれと言う者。何が正しくて何が間違っているのか分からなくなって行く。信念と狂気が入り交じり合い、終いには周りの人間でさえ敵に見えてくる」

「……」

「銀時もそうだった。俺たちは狂った者同士、互いに怒りをぶつけ、貪った」

 万斉は黙ったまま高杉の顔を見つめていた。

「失望したかぃ? だったら船を降りればいい。俺は止めねぇぜ」

 立てた片足の着物の隙間から白い腿が浮かんでいる。

 月明かりに照らされた横顔は憂いを帯び、扇情的で儚げに映った。

 ふと、手元の光が影を帯び、高杉は顔を上げる。

 畳からじっと動かなかったはずの万斉がいつの間にか側に立っていた。

「拙者が行かないを見越してそういう科白は卑怯でござる」

 くくっと高杉が肩を震わせ笑う。

「まぁどうとでも解釈するがいいさ」

 突然、高杉は顎を強く掴まれ強引に顔を上向けさせられた。

 驚く間もなく乱暴に唇を奪われる。

「何しやがる」

「此処へ来たって事はそのつもりだったのでござろう?」

「……」

 高杉は何も言わず隻眼の目を据わらせてじっと万斉を見つめていた。

「拙者も狂っている。晋助に会った時から既に」

 その言葉に、高杉がにやりと口角を吊り上げた。

「どうせなら全て壊れた方が楽だろうよ」

 煙管を置き、高杉が初めて自ら顔を寄せ唇を重ねてきた。

 そのまま二人で畳の上に雪崩れ込むようにして抱き合う。

 相手の服を忌々しそうに脱がせようとする万斉に対し、高杉は万斉の顔を手の平で包み込み、かけているサングラスを外した。

「…そう言えば珍しくヘッドフォンは外しているじゃねえか」
「今は何も聴きたくない気分でござる」
「へえ…無音を好むなんざ珍しい事もあるもんだ」

 そうかも知れない。

 今はどんな音楽も雑音にしか聞こえない。

 高杉の少し艶の含んだ吐息だけを聞いていたい。

「晋助…」

「クク…ッ。そう急くな」

 なんと美しい音色だろう。

 耳をそばだて、高杉の苦しげな声に酔いしれる。

 目を開けば、懸命に声を殺し、眉間に強く皺を寄せている高杉の仄かに朱を含んだ顔が月明かりに浮かんでいる。羞恥、痛み、快楽。全てを晒すまいと気丈を装って必死に手の甲で己の口を覆っている。

「この顔を…坂田にも何度も見せていたのでござるか」

「あ…く……ッ」

 高杉には万斉の声が届かないのか、溺れる体をされるがままに揺すられている。

 喘ぐだけの唇に、万斉は怒りさえ覚えながら強く噛み付いた。

「ん、んぅ……っ」

 晋助…晋助――。

 心の中で何度も叫びながら激しくリズムを叩きつける。

 この人はこんなにも白い肌をしていたのだろうか。こんなにも生気のある色をも創り出す事が出来たのだろうか。いつもサングラス越しの色しか見ていなかったので知らなかった。

「あ…あぁ……ッ!」

 一際高い声を上げ、高杉が白い飛沫を吹き上げた。

 ヒクヒクと痙攣させる後孔に容赦なく抜き差しを繰り返し、万斉が間もなく達する。

「はあ…はあ…」

 互いに大きく息を荒げ、万斉は滑った肌をそのままに高杉に覆い被さった。

「退け」

 息が漸く整い始めた頃、低い声が頭上から聞こえてきた。

 ゆっくりと体を離し改めて高杉の顔を見る。

 冷たく落ち着き払った表情は、もういつもの高杉だった。

「お前の中の獣が目覚めたか」

「え…?」

 驚いて目を見開くと、楽しそうに口元を歪めて高杉が笑う。

「お前も俺も狂った獣だ。銀時も…」

「……」

「獣は獣同士、噛み付きたくなったら遠慮なく噛みつけ」

 万斉は暫く黙っていたが、やがて立ち上がり脱ぎ捨てた服を着始めた。そして部屋の隅に追い遣られていた自分のサングラスとヘッドフォンを拾い上げいつもの定位置へ装着する。

そして窓辺へ近付き星の瞬く夜空を見上げ、音楽機器のスイッチを入れた。

「今宵は月が美しい故、幻想に囚われてしまったでござる」

「……」

「幻想はいつか必ず解ける。晋助」

万斉が微笑を浮かべて振り返った。

「おぬしも早く過去の幻想から抜け出るでござる」

「――っ!」

睨みつける高杉の視線を背中に受け、万斉は静かに襖を閉めて出て行った。

 

月の光は人を狂わせると言うが、それは誰かを例えているのかも知れない。

拙者の月は晋助で、晋助の月は――。【終】



あとがき
高杉受けに万斉×高杉は外せません。
高杉が主導権を握ってるようで、結局は万斉に裏を読まれている万高が好きです。
いつかこの話を前提にしての銀高も書いてみたいですね。

戻る