風の未来へ

 

「先生さようならー」

子供達の大きな声に、坂田銀時ははっと目を開けると慌てて口元の涎を擦った。

生徒たちが教師に向かい無邪気に手を振って教室を出て行く。

「はい、さようなら」

塾長の吉田松陽が優しい笑顔でそれぞれの生徒に手を振り返し、側に寄って来る子供には温かい手で頭を撫でていた。

いつもの寺子屋の光景だ。

銀時は退屈そうに欠伸をすると、愛用の木刀を杖代わりに立ち上がり、大きく伸びをして自分も教室を後にしようとした。

ふと、目線を上げた先に二人の生徒が目に入る。

「高杉、帰らんのか」

「ちょっと復習してから帰る」

同じ塾仲間の桂小太郎と高杉晋助だ。

二人のやり取りに興味なさ気に肩を竦めると、銀時はそのまま教室を出て行った。

晴れた空が眩しい夏の昼下がり。

うろこ雲が空一面に広がり、陽気な涼しい風を運んでくれる。

「昼寝はしたし、刀でも振ってくるかなぁ」

銀時は勉強より体を動かす方が好きだ。訳の分からない昔人の歌を学ぶより朝から晩まで走って飛んで刀を振り回していたい。

そんな銀時に桂は毎回ぶつぶつ小言を言うけど、子供なんだから当たり前だ。

銀時、桂は13歳。高杉は12歳。まだ立派に子供と呼べる年齢だろう。

同じ年の桂は銀時とは正反対の真面目な性格をしていて、勉学も剣術も真剣に取り組んで真剣に今後の日本について考えてるような奴だった。銀時からすればご苦労さんの一言で片付けられる。

一つ年下の高杉は真面目は真面目なのだろうが、その真面目さは敬愛する松陽先生に誉めて欲しいから故の、所謂エセ優等生だった。

先生の前では借りてきた猫みたいに大人しいが、生徒たちばかりになると途端豹変して悪口雑言だらけのワガママ坊主になる。こっちが本物なのは分かっているが銀時から言わせればバカじゃねーの、の一言に尽きる。人の顔色疑って生きるのはもっと大人になってからでいいのに、と思うのだ。

でもそんなまるで性格の違う三人だが、不思議とつるむ事が多かった。

友達とか仲間とか、その時の三人にはまだよく分かっていなかった。

 

あれから二時間程して、素振りに飽きた銀時は庭の井戸で水を飲んでいた。

ふと見ると、縁側に小さな影が見えた。

目を凝らすとそれが高杉だと気付いてきょとんとする。

まだ授業の復習とやらをしていたのだろうか。ご苦労なこった。

「うおーい。まだ帰ってなかったのかよ」

気のない声で話しかけながら、銀時は高杉の元へ歩み寄った。

しかし高杉の反応がない。黙ったまま小さな体を益々小さくして項垂れている。

「…どうしたんだよ。腹減ってんのか」

「うるさい。話しかけんな」

返ってきたのはそんな可愛くない言葉だった。

むっとした銀時は「あ、そう」と不貞腐れて踵を返す。

だがあのいつも気丈な高杉が、と思うと違和感を覚えて再び戻った。

「もう日が沈むぞ。そろそろ帰らないとお前の家厳しいんだろ?」

「……」

それでも高杉は黙ったままだ。

銀時は息を吐くと、高杉の横に座った。

「ヅラは?」

「とっくに帰った」

「先生は?」

「会合があるとかでどっか行った」

「じゃ、お前は?」

また黙り込む。

「帰りたくない理由でもあんのか? 親と喧嘩でもした?」

「違う…けど」

奥歯の挟まった物言いに、やはり何かあったのかと確信する。

「何があったのか知らねーけどさ、とりあえず謝っとけ。親に反発しても良い事ねーぞ」

「親じゃねー。先生…」

言った後しまったと思ったのか、高杉は慌てて口を噤み「帰る」と言って立ち上がった。

「ちょ、待てよっ」

銀時が驚いて高杉の捕まえ引き止める。

「離せよっ」

「先生ってなんだよ。先生と喧嘩したのか?」

「先生と喧嘩なんかするわけねーだろ! 俺が悪いんだよ!」

意味の分からない話に、銀時は強く高杉を引っ張ると無理矢理元の位置に座らせた。

「話せよ。何でお前が悪いんだよ」

「……」

やはり高杉は簡単に話そうとはしない。

それでも銀時は辛抱強く待った。

待つことも成功に繋がると教えてくれた先生の言葉を信じて。

「……先生に、告った」

「…はあっ?!」

一瞬間を置いた後、銀時の口から驚愕の叫びが上がった。

「なんだよっ悪いのかよっ」

高杉は真っ赤になって銀時に猛反発してきた。

「い、いや。悪いとか悪くねーとか…それで?」

話を促されて、高杉は思い出したのかまた俯いた。

「先生に…なんて返されたんだ?」

「返されたも何も…笑ってあしらわれたよ」

それはそうだろう。どんな生徒が先生に好きだと言っても先生は笑ってありがとう、と返す人だ。

「きっとちゃんと通じてなかったんだろ。先生のことだ。私も好きですよーとか呑気に笑って返されたんだろ」

図星とばかりにビクリと高杉の肩が上がる。

その後悔しそうに黙り込んだままの高杉を横目で見つめ、銀時はやれやれと溜息を吐いた。

「なんでまたいきなり告白なんてしたんだよ。俺たちはガキだぞ。先生が相手にするわけねえ」

分かってるとばかりに高杉は目を伏せた。

「俺…この前13歳になったんだ」

一瞬何の事だと銀時が眉を顰める。

「昔から決めてたんだ。13歳になったら先生に告白しようって」

「なんで?」

「だってちょっと大人だろ? 13歳なら先生も少しは俺を子供扱いしなくなるかもって思ってて」

高杉はどうも昔から急いで大人になりたがっている節がある。銀時もその気持ちは分からないでもないが、焦って大人になりたがっても時は決まった時間しか刻まないのは知ってるし、先生曰く人生は大人の時間の方が長いのだから子供の時にしか出来ないことを思う存分やっていればいい、との事だ。

高杉の言う13歳が大人の領域に入るとは思えないが、人の物差しはそれぞれ違う物だし、高杉なりに考えての行動だったのだろう。

「はあ…大人とか知らねーけどさ。先生はきっと俺たちがいくつになっても自分の生徒で自分の子供としか思っちゃくれねーよ」

高杉が言葉を詰まらせた。

しかも何だか泣きそうになってる。やべ、言い過ぎたか?

「ま、まあ難しいよな。好きだとか先生からしてみれば言われ慣れてる事だろうし、まさか特別な意味とは…っ」

慌ててフォローに入った時、「違う」とぴしりと高杉に否定された。

「キ…キスしたいって言った」

「……えええっ?!」

これ以上ない絶叫が上がった。

「キ、キス? お前そんな事言ったの?!」

うん、と耳まで真っ赤になって頷く高杉に銀時は絶句する。

「そ、それから?」

息を呑み込んで続きを促すと、高杉は苦渋の顔を浮かべて俯いた。

その反応は上手く行かなかったんだなと容易に想像ついて、一つ嘆息を吐くと銀時は頭を掻き毟る。

「先生、笑って言ったんだ。自分も晋助も男子ですよって。それにファーストキスは一生に一度しかない大イベントなんだから大事に取っておきなさいって」

「……」

「だから俺、必死に先生がいいって抱きついたんだ。そしたら先生困ったみたいな顔して会合あるからって出て行った…」

「……」

「俺先生に嫌われたのかな…」

成る程。これが落ち込んでいる理由か。

本当にこいつは先生が絡むと感情の浮き沈みが激しい。先生の一挙一動に歓喜し怯え簡単に撃沈する。

こんなに想われている先生が何だか羨ましいと思った。悔しさまで滲んでくる。

そして、そんな自分の口から出たのは慰めでも戒めでもない意外な言葉だった。

「じゃあどうすんだ、お前。このまま諦めるのか?」

え?と高杉がどんぐり眼を丸めて顔を上げる。

「お前は先生にナメられたんだよ。お前がガキだから」

ぐっと高杉が詰まる。小さな手が着物を握り締めて皺を作った。

「俺が練習台になってやってもいいぜ」

「へ?」

高杉の口から間抜けな声が上がる。

「ファーストキスが大事とか、俺たち男だぜ? 女じゃねーんだ。キスってあれだろ? 唇と唇がくっ付くだけだろ。手と手を握るのと一緒じゃねえか。んな大したイベントじゃねえよ」

「……」

「しかも俺たちは侍だ」

「…っ!」

銀時の最後の言葉に一気に火がついたのか、次には高杉は丸めていた目をキッと見据えてきた。

「そ、そうだよな。たかがキスだよな」

「そうだ。たかがキスだ」

銀時も大きく頷き返す。

そして高杉の小さな顔を両手で挟むと、ぐいと顔を上げさせた。

「痛えな。俺がするんだよ」

そう言って高杉が銀時の手首を捕まえてくる。

「俺はお前より年上なんだから俺が先だ」

「今は同じ年だろ」

「10月になればまた離れるさ」

チッと高杉が舌打ちし、つまらなそうに目線を外した。

「行くぞ」

「来いよ」

まるで果し合い直前の前口上のようだ。

両者睨み合い、互いに一歩も引かない。これはそうだ。挑戦状だ。

「容赦しねえからな」

「早くしやがれ。びびってんのか」

なんとも可愛くない。やはりコイツは男だ。照れが全くない。

銀時も挑発に乗って、ゆっくりと唇を近づけた。

「…!」

触れたと同時、今まで物凄い形相で睨みつけていた高杉の目が強く閉じられた。

意外な反応に銀時の中で途端、戸惑いが生じる。

高杉の睫毛がフルフルと小刻みに震え出し、心なしか目元が真っ赤に染まっている。

――コイツもしかして緊張してる?

そう思うと一気に銀時の顔からも火がついた。

重なっている唇が妙に熱い。高杉の顔を捕まえている手の平からじわりと汗が滲んでいく。

「…っ」

それから弾かれるように高杉の唇から退いた。

突然突き放されて、高杉は一瞬目を見開いたもの、またキッと睨みつけてきた。

しかしどんなに睨み付けられても潤んだ目は誤魔化せない。

銀時の中で今までにない妙な感覚が溢れてきた。

まだ掴んだままの高杉の顔を強く引き寄せ、にやりと笑って言い募る。

「まだこれからだぜ?」

え、と高杉が言う間もなく再び強く口付ける。

勢いがありすぎて互いの歯がぶつかってしまった。

高杉が痛いと文句を言おうとして口を開いた隙に、銀時の舌が捻りこんできた。

「……ッ!!」

高杉は今度こそ驚いて目を見開いた。

しかし次には舌を絡まれ、再び強く閉じる羽目になる。

「な…っ、銀…ッ!」

言葉はそのまま飲み込まれ銀時の舌が容赦なく口腔を犯す。

「んん…っん…!」

予想だにしなかった行為に高杉の目尻から涙が溢れ出した。

どうしていいか分からず強く目を瞑ったままの高杉に、銀時が少し唇を離して「お前も舌使えよ」と低い声で言い放った。

その言葉の意味が分からず、戸惑っている高杉を置いてまた銀時が口付けてくる。

舌が執拗に絡み付き、どういう訳か息が弾んでくる。

「ん…ふ…う……っ」

塞がれている口が苦しくて、息遣いの方法が分からず上擦った声が漏れる。

舌を使えと言われたからと、高杉も訳も分からず舌を動かしていた。

互いの唾液が絡まる音がなんだかいやらしい。

感覚は何故か下肢にまで連動して行く。

高杉はその時初めてやばい、と思った。そして次の瞬間には、

「も…よせ!」

思い切り銀時を突き飛ばしていた。

その反動で縁側から落ちた銀時は、そのまま地面に尻餅を付き背中を強かに打ちつけた。

「いってえな…何すんだよっ!」

背中を擦りながら銀時が大声で怒鳴る。

「てめ…長すぎんだよっ! 大体なんだよあれっ!」

高杉は自分の動揺を隠すように、必死で反撃の声を荒げた。

「何ってキスだろ?! 俺が練習台になってやってんのに何だよその言い草!」

「あれがキスかよっ! あんな…あん…」

言いながら思い出してまた顔が火照っていく。

「なんだよ。お前知らねえの? まさか唇くっつけるだけがキスと思ってたの?」

銀時がにやりと笑い、バカにしたように鼻で笑った。

「ん…だとっ」

憤慨して高杉が睨みつける。

「ったくこれだからお子様はよぉ…」

尻に付いた土埃を落としながら、銀時がやれやれと立ち上がる。

お子様と言われムカッとした高杉の横に再び腰掛けると、銀時はぐいと高杉の肩を引き寄せた。

「次はお前の番なんだろ」

「あ?」

「お前がリードすんの。じゃなきゃ練習にならねーだろ」

かっと顔を熱くした高杉に、銀時が余裕の笑みを浮かべてまた顔を近づけてくる。

「こいよ、ほら」

なんだか一人焦っている自分が悔しくなって、高杉はその挑戦状を叩きつけるように銀時の唇を奪った。

銀時の薄い唇が誘い込むように少し隙を作る。

先程の銀時の行為を思い出し、高杉はそっとその中へと舌を出して挿入していった。

銀時の熱い舌を見つけると、戸惑うままにゆっくりと舌を動かす。

当然銀時の舌は動かないので、高杉が精一杯絡みつくしかなかった。

要領を得ない行為は緊張と不安と仄かな好奇心が交差する。

一方、たどたどしい高杉の舌の動きに、銀時は目を薄く開けて見入っていた。

目をきつく閉じて一生懸命自分の口腔を貪っている。

――なんだよこいつ…。

最初は面白半分で始めた行為だが、気付けば自分も夢中になってキスを堪能していた。そしてこの高杉の反応だ。

「はあ…は……」

お互い初めてなんだから下手なのは当たり前だ。

だがキスというものが、こんなにも熱く胸を滾らせる行為だとは知らなかった。

顔が茹でるように熱くなり、体中が全身心臓になったようにドクドク脈打っている。

気付けば、銀時は掻き抱くように高杉を抱き締めて自らも舌を絡めていた。

「ん…っ……」

鼻から抜けるような高杉の声にじわりと下肢が反応する。

我慢できなくて本能のままに高杉を押し倒した。

驚いている高杉に、銀時が息を荒げて呟いた。

「高杉…俺勃ってきちゃった」

「え…っ」

潤んだ目を大きく見開き、高杉が信じられないという顔をする。

銀時はいつもストレートだ。子供故の真っ直ぐさなのか、本能に忠実なのか。

「あ…っ!」

突然下肢を撫でるように触れられ、高杉が焦った声を出した。

そんな高杉に構わず、銀時は確認するように下肢を指でなぞる。

「てめえも勃ってんじゃねえか」

「……っ」

反論出来なくて高杉は真っ赤になり目を逸らした。

シュル、と何か衣擦れの音がしたと思えば高杉の帯を銀時が解いていた。

「てめ、何してやがるっ」

「見てえんだよ、お前の」

「…っ!」

恥ずかしすぎて一瞬言葉を失ったが、次には大声で怒鳴り散らしていた。

「や、やめろよっ! 見るなっ」

じたばたと暴れて高杉は銀時の跳ねた銀髪を引っ張る。

イテテと言いながらも、銀時は高杉の下穿きを強引に脱がし始めた。

「あ……」

どちらとも言えない声が上がった。

高杉のそれは大きく成長して天を向いている。

「ふーん…晋ちゃんもちょっと見ない間に大人になってたんだなぁ」

ニヤニヤと感慨深く呟く銀時に、高杉は涙を滲ませて猛反論してきた。

「うるさいっ! もうどけよ! このクソ天パ!」

しかし高杉の悪態は途中で途切れた。

銀時がぎゅっと手の平でそれを包み込み、動かしてきたせいだ。

「あ…っ、やめ…」

高杉に触れた興奮で銀時の熱も更に上昇する。

「すげ…硬い…」

「ひ、あっ……」

「まだツルツルなんだ…」

心の声を惜しげもなく口にして、銀時は息を荒げた。

次第に高杉のそれは先端から濡れた感触を伝えてきた。

相手もちゃんと興奮しているのだと思えば、銀時も限界だった。

「高杉…俺のも触ってくれよ」

「え…」

高杉の手を取り、自分の下肢を触らせる。

「あ…」

一瞬怯えたような高杉の声は、だが次には恐る恐るではあるがちゃんと指を動かしてきた。

それに気を良くした銀時が嬉しそうにふっと笑い、自ら着流しを強引に割って下穿きを緩めて外した。

銀時のそれも立派に天を仰いでおり、赤く情欲に震えていた。

疎らだが少しだけ毛が生えていて、ほんの少し大人に見えた銀時に高杉はちょっとだけ悔しくなる。

「ほら」

強引に握らされる。

熱くて硬くて自分より大きなそれに、驚きと羞恥が一気に湧き上がる。しかし意外な程興奮した。

「ぎ、ん…とき…」

欲と戸惑いに混乱して思わず名を口にすると、銀時が唇を塞いで舌を絡め出した。

「ん…ん……っ!」

再び下肢を擦られてびくりと全身を奮わせる。

「はあ…ん……」

後は二人で唇を貪りながら、互いのそれを必死で扱いていた。

気持ちよくて、興奮して、これは一体なんだろうと考える間もなく互いの絶頂に向かい何度も上下に擦る。

「ん…く……銀、とき…」

「晋…すけ…ん…っ」

時折縋るように相手の名を口にする。

限界が近付いて来て扱く手を更に早める。

「あ…あっ…!」

「く…っ」

引き攣るような声がどちらからも漏れ、互いの先端から白濁が勢いよく飛び散る。

最後まで絞るように擦り、数回に渡ってそれが吐き出された。

「はあ…は……」

互いに全力疾走したように息が荒い。

呼吸が落ち着くのを待っていた銀時の頭を、突然高杉が容赦なく叩いた。

「んだよ…」

「重い」

高杉を下敷きにしていたことを思い出し、銀時がへーへーと言いながら体を起す。

起き上がった高杉も、乱れた着物を忌々しそうに整え始めた。

「……」

互いに何も口を利かなかった。

目も合わせず、どういう顔をしていいのか分からない。

何だか空気が重かった。これは自己嫌悪という奴なのだろうか。

後悔とか、反省とか、そんな感情とも違う妙な陰気臭い気持ち。

それでもこんな空気は嫌だ。

二人とも何か言わなければと気ばかりは焦っていた。

「あ、あのさ」

口を開いたのは銀時が先だった。

高杉が何も言わず振り返る。

「着物…汚しちゃってごめんな」

「…いいよ」

本当に言いたいのはそんな事じゃないのに、でも言葉が思いつかず銀時は己の頭の悪さに苛立ち始める。どうにか話を取り繕うと出た言葉は、

「そ、それ洗ってやろうか?」

「え?」

高杉が顔を上げると、銀時がばつが悪そうに「ベトベトして気持ち悪いだろ」と頬をかきながら言ってきた。

「でも代わりの着物なんてないだろ」

「俺の貸してやるよ」

「てめえの汚い着流しなんか借りれるか」

「じゃあその白いのつけたまま帰んの?」

言われて真っ赤になった高杉は、暫く葛藤していたようだが後には足並み荒く廊下を歩き始めた。

「早くしろよっ。着物貸せっ」

銀時は笑って高杉の後ろを付いて行った。

 

夕焼け空の道程を、二人は何も言わずに歩いていた。

家まで送ると言った銀時に、高杉が不貞腐れたような様子で前を歩いている。

なんだか自分の着物を着ている人間を見ているのは不思議な感覚だ。

不思議で歯がゆくて、でも何だか嬉しい。

「とっとと歩けよ。天パ」

「うるせーチビ」

会話はいつもと同じだけど、なんだか今までとは少しだけ違う世界になった気がする。これが大人になると言うことだろうか。

 

高杉の家に到着すると、高杉が振り向き様「此処でいい」と言った。

おう、と素っ気無く返し銀時がまた元来た道へと足を向ける。

互いの距離が次第に遠くなる。

門に手をかけたまま動こうとしない高杉。少し重い歩調で歩く銀時。

そこへ、銀時が思い切って振り返りまた高杉の元へと引き返してきた。

「あ、明日来るだろ?」

え、と高杉が目を丸くする。

「着物返せよっ。俺何着も持ってねえんだから」

「……」

高杉は暫く呆けて銀時を見ていたが、後には目を吊り上げて怒鳴りつけた。

「返すよっ! こんな汚い着物いるか!」

「明日持って来いよなっ!」

「あたりめーだ! てめーこそちゃんと俺の洗っとけよっ!」

「わーってるよ!」

フンとそっぽを向き、二人はそのまま背中を向けて別れた。

パタン、と閉じた門の音を背後に聞きながら銀時は足並み荒く歩いて行く。

その時、高杉の家から女性の絶叫が聞こえてきた。

「まあまあぼっちゃん。遅いから心配したんですよ!」

どうやら使用人の声らしい。なにやら慌てた様子で奥様、と高杉の母親を呼んでいる。

今更だが、こんな時高杉と自分の身分の違いに気付かされる。

「晋ちゃん! あんまり遅いから迎えに行こうかと思っていたのよ!」

「大丈夫です」

高杉家の会話に何故だか疎外感を覚え、気のないふりしてそのまま歩みを進めようとした時、「その着物どうしたの?」という声が聞こえてきた。

「汚したんでちょっと借りたんです」

「こんな庶民が着るような着物…ほら、早くお着替えなさい」

銀時は少し切なくなった。

高杉家の高い塀を見上げる。同じ寺子屋に通ってるとは言え、やはり高杉は自分とは世界の違う金持ちのぼんぼんなのだ。

「だからあんな貧乏な寺子屋に通うのはよしなさいって言ったでしょ?」

「俺はあそこがいいんです」

「また松陽先生? 先生は良くても生徒は柄の悪い庶民の子供ばかりでしょう? たまに怪我をして帰ってくるし、晋ちゃんが苛められてるんじゃないかと心配なのよ」

「……」

それには銀時も胸を詰まらせた。

先程、高杉にした行為は苛めに値するのではないだろうか。

高杉も最初は嫌がっていたし、それでも強引に事を進めたのは自分だ。結局は自分の欲をぶつけるただの道具として扱ってしまったのではないか。

「俺はあの寺子屋が好きです」

高杉の燐とした声に銀時がはっと顔を上げた。

「先生も好きだし面白い奴もいるし、喧嘩もするけど俺にはあそこが合ってる。小奇麗な気弱いぼんぼん達に囲まれてるのはつまんねー」

「まあこの子ったら…言葉遣いまで感化されちゃって」

悲しそうな母親の声に、思わず銀時は噴出してしまった。

「夕飯はまだですか? 腹減った」

「もう晋ちゃん…っ!」

慌てて駆けて行く足音を遠くで聞きながら、銀時は持っていた木刀を肩に担ぐ。そして口元に笑みを浮かべながら道程を軽やかに歩き出した。

 

風呂場で着物を洗い終えた銀時は、庭先の竿に自分の着物と高杉の着物を干していた。

ぽたぽたと水滴の落ちる着物を見ながら明日のお昼には乾くといいな、と思いながら目を細めて高杉の赤茶色の着物を見つめる。

「銀時、そこにいたんですか」

そこへ、背後から優しい声が掛かった。

振り返るとにこやかに微笑んだ松陽が立っている。

「おや、洗濯ですか? 珍しいですね」

「ち、ちょっと汚しちゃって…」

気まずそうに苦笑を浮かべると「でもそれ君のものじゃないですね」と目敏い指摘が入った。仕方なく「高杉の物です」と正直に吐く。

「晋助の? これはまた珍しいですね」

「け、喧嘩して二人して池に落ちちまって…」

「そうですか。相変わらずよく喧嘩しますね」

結構結構、と一人で納得して笑っている松陽を尻目に、銀時は居心地悪く黙り込む。

「喧嘩相手の着物を洗ってあげるなんて、銀時も大人になりましたね」

はあ、と気のない返事をして頭をぽりぽり掻いた。全般的に自分のせいだからとは言い難い。

――大人、か…。

人はいつ大人になるのだろう。

何故子供は背伸びして大人になりたがるのだろう。

俺も、高杉も、大人になる事が自分を認められると認識しているのだろうか。

「先生」

「はい?」

「高杉の事…あまり子ども扱いしないであげてよ」

松陽は少しばかり驚いた顔をしたが、直ぐにいつもの笑顔を戻して「晋助から何か聞きましたか」と穏やかに尋ねてきた。

「先生に告白したって聞いたよ」

「ふふ…告白ですか」

高杉の真剣さを誤魔化されているようでムッとした銀時は「あいつは本気だったんだよ」と反論の声を上げた。

「晋助は…そうですね。少し思い違いをしているのでしょう」

「?」

思いも寄らぬ言葉に銀時の眉が潜められる。

「憧れや尊敬等の念から恋愛と勘違いしてしまっているのですね。でも本当の恋じゃない。思春期の子にはよくある事です。小さな子供が将来はお父さんと結婚する、と言うでしょう? あれと一緒です」

そうなのだろうか。だったら何を恋と呼ぶのだろう。

「晋助もいつか気付きますよ」

「で、でもアイツ先生にチューしろって言ってきたんでしょ?」

「はは。それにはちょっと驚きましたがね」

「してあげれば良かったんじゃねえの? ファーストキスは大事にしろって拒まれたってアイツ言ってた」

「晋助は君には何でも話すんですねぇ」

感心したように笑う松陽に、銀時は瞬時赤くなって俯いた。

「そうですね。それで晋助を傷つけたんなら反省します。今度キスしてあげましょう」

「え…っ」

自分で言っておきながら宣言され、銀時は途端慌てふためく。

「本当に、君たちといると色んな事を学べますね」

え?と聞き返す銀時に、松陽がクスクス笑って銀時の髪を撫でた。

「私は先生と呼ばれていますが、私にとっては君たちが先生ですよ」

意味が分からず目を瞬かせていると、松陽は嬉しそうに微笑んで言った。

「君たちは素晴らしい大人になります。だから、もう少しで終わるこの子供時代を満喫して下さい。沢山恋をして、沢山悩んで、笑って泣いて時にはぶつかって。挫けそうになった時に側にいる仲間を作っておきなさい」

「……」

「大人になると言う事は、人を守る力を持った時に言うのですよ」
――
人を守る力。

銀時の胸に何とも言えない熱いものが込み上げてくる。

松陽がぽんぽんと銀時の頭を撫で「さて夕食にしましょう」と柔らかく微笑んで立ち上がった。

去って行く松陽の広い背中を見つめて、銀時は再び洗濯した着物を見上げた。

 

「なんだこれ」

渡された着物を見て、高杉が仏頂面で呟いた。

「洗濯したんだろが」

「こんなに皺くちゃにしやがって」

「この家にはアイロンなんてないの。でも匂いは取れただろ」

匂いと言われて思い出したのか、高杉がかっと顔を赤らめた。

「も、もうしねーからな」

「ガキだねえお前。やっぱりツルンツルンなだけあるわ」

「すぐ生えてくるよっ」

そんな取りとめもない言い合いをぎゃんぎゃんしていたら、遠くから「皆さん授業を始めますよ」と呼ぶ松陽の声が聞こえてきた。

チッと舌打ちして松陽の元へと走って行く高杉。

それを遠くで眺めながら知らず微笑を浮かべる。

すると、高杉が松陽に呼び止められ何やら話をし始めた。

きょとんとそれを眺めていた銀時の前で、突然松陽が高杉の頬に小さくキスをした。

「――――!!!」

驚いたのは銀時だ。高杉も顔を真っ赤にしておろおろとしている。

そこへ、それに気付いた他の生徒達が一斉に松陽に抱き付き、僕も私もとキスを催促してきた。それに笑って律儀に応える松陽先生。

銀時は何故か眩暈を覚え、頭を抱えた。

生徒達に囲まれ手を引かれながら、松陽は教室へと行ってしまった。

後に残されたのは銀時と、まだ夢から覚めない様子で呆然としている高杉だけだった。

「おい」

銀時の声に我に返った高杉が慌てて振り返る。

「おめでとさん」

「……」

高杉は真っ赤な顔を見られないようにと目線を逸らした。

「口じゃなくて残念だったなァ」

嫌味ったらしく言うと、高杉が目線を下げてふっと笑った。

「十分だ」

意外な反応に目を丸くしていると、今度は目の色を変えた高杉が銀時を見据えてきた。

「次は俺がリードしてやる」

「あん?」

「俺の方が大人って所を見せてやるっつってんだよ」

ニヤリと口端を吊り上げ、高杉は余裕の笑みを刻み込んだ。
コイツはこの期に及んでまだ自分は大人と言い張る気か。それともさっきの先生のキスで途端いい気になって大人への階段上り詰めた気になってしまったのか。相変わらず単純な奴だ。

呆れた銀時は、そのまま高杉に近付くと顔を寄せて、ちゅっと唇にキスをした。

「てってめ何しやがる!」

高杉が真っ赤になってあたふたと唇を拭った。

「まだまだ甘いねぇ晋ちゃん。リードするなら難なく対応してみせてよ」

「てめえ突然すぎるんだよっ! バカ! 白髪!」

ありったけの悪態を並べてギャーギャー騒がしく怒鳴り散らしている。
――
ああ、やっぱりこいつガキだ。

でもそんなガキなこいつに、俺はちょっと惹かれてる。

可愛いと思う。守りたいと思う。

これが恋なのかな。でもこれも勘違いなのかな。

まだ一人で喚いている高杉の手を引っ張ると、銀時は笑って教室に向かい歩き出した。

こいつの手が心地良い。怒った顔も笑った顔も全てが面白い。またキスしたい。

爽やかな夏の風が少年たちの頬を吹き抜ける。

空を映す澄んだ蒼が優しくどこまでも続いていた。【終】


あとがき

突然幼少期が書きたくなったのはリ○カーンを見てて浜ちゃん達が歌っていた「これが恋だとわからずに」を聞いたのがきっかけです()

青春っていいなー可愛いなー高杉たちもきっとこんな可愛い時代が…と連鎖妄想を引き起こし至りました(単純)

桂があまり出せなかったのが心残りですが、子供銀ちゃんと晋ちゃんがこうやって恋と気付かずイチャイチャしてればなーと勝手に心膨らませてます。
タイトルは子供の頃見ていたアニメの主題歌です。分かる人いるのかな?()レンタル屋で懐かしいアニメ達を見ていたら思い出しました。レンタルはしなかったけど(おい)戦国BASARA借りてる奴早く返せ!(意味不明)

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