Teenage Walk

ホームルーム終了の鐘が響き渡ったと同時、一斉にガタガタと椅子を引く音が教室中を満たした。

そのまま帰宅する者、残って掃除当番をあてがわれている者、部活に勤しむ者等それぞれの放課後がやって来る。

土方十四郎も例に漏れず剣道部の部活動が待っている。

教科書を鞄に仕舞い込み、簡単に身支度をすると直ぐに立ち上がりいつものように同部員の友を探すべく目を配らせた時、教壇にいた教師から思わぬ声が掛かった。

「土方、ちょっといいか?」

担任の坂田銀八が相変わらずかったるそうに手招きをしている。

土方は露骨に面倒臭そうな顔を浮かべると、銀八の元へと足を運んだ。

「悪いねー。ちょっと土方君に頼みがあって」

銀八がヘラヘラして言う頼みにろくな事はない。

また仕事を手伝えとか言われるのかと思い、土方はすぐに「僕忙しいんで」と冷たく返した。

すると銀八は案の定「違う違う」と慌てて手を横に振った。

「仕事手伝えとか言わないよ。そうじゃなくて、ちょっと君にしか頼めない事」

「なんですか」

相変わらず棒読みで言い返す。

「ここじゃ…ちょっと…ね」

珍しく歯切れ悪く言い淀む銀八に一瞬怪訝に顔を顰める。

「悪いけど、今から準備室来てくれない?お茶くらい出すからさ」

「はあ?」

素っ頓狂な声を上げた時には、銀八は既に身を翻し教室のドアへと足を向けていた。

ドアを開けて「付いて来い」と言わんばかりの笑みを向け、先立って歩いて行く。

まるで人の都合を聞きもしないマイペースな担任教師を睨んだ後、土方は仕方なく教室を見渡すと同じ部員の山崎を呼び止め「部活遅れる」と言い渡して教室を後にした。

準備室にノックして入ると、丁度お茶を煎れている銀八が振り返り「適当に座れ」と笑顔で席を促した。

一体何を言われるのかと気に揉めながら、土方は中央にある会議用机に歩み寄りパイプ椅子を引いて座った。

コーヒーのマグカップを差し出し、銀八も同じように向かい側へ座る。

「で、何なんですか」

一向に口を開かないまま自分のコーヒーに砂糖をたっぷりと入れている銀八に焦がれ、土方が話を促した。

「うーん…実はね、高杉の事なんだけどさ」

「高杉?」

思わぬ人物の名に目を丸くする。

「うん…今日も休んでいた高杉晋助」

軽く思い出しながら曖昧に頷いた。

「ちょっと変な噂が立っててね、君に確認して貰いたいのよ」

「確認って?」

銀八は一旦スプーンを置くと、眼鏡の奥から目を光らせて土方を見据えた。

いつもの銀八とは違う真剣な顔付きに硬直した土方は、一瞬にして事の重大性を察知する。

「あいつね、援交してるって噂が立ってるんだよ」

「え…援交?」

あまりにも衝撃的な言葉に一瞬耳を疑った。

「援交って高杉男だし…あ、女が買うのか。そういう場合も…」

「いや、違うよ」

あっさり否定し、銀八は胸ポケットから煙草を取り出すと火をつけて深く煙を吸い込み吐き出した。

「男相手に援交。ホテルを入って行くのを何度か目撃されてる」

土方が信じられないと目を瞠る。だがそのすぐ後には「まさか」と慌てて作り笑いを浮かべた。

「あ、あれだろ。ホテルで食事…とかじゃねーの?そうじゃなかったら人違いとか…」

「先生もそう信じたかったんだけどね、あの見てくれだし、眼帯した学生なんて早々いないだろ。事実っぽい」

土方は言葉を失い、黙り込んだ。

「でね、お前ちょっと高杉と仲良いだろ?それとなく聞いて欲しいんだよ」

「仲良いって程じゃ…」

高杉はあまり学校に来ない生徒だ。

出席日数は計算しているようだが、普段何をしているのかあまり授業に顔を出さない。

それでも今年の春、高杉と話す機会があった。

 

とある放課後、部活の合間にこそこそと校舎の屋上まで煙草を吸いに来た時の事だった。

いつも指定席にしていた入口からは死角になっている給水タンクの向こう側。そこから細い煙が上がっているのが見えた。

誰だろうと思い近くまで寄って行くと、学生服で一人煙草を吹かしている男子生徒がいた。それが高杉だった。

高杉はすぐに土方に気付き、その後「よお」と不敵に笑みを刻んだ。

「土方…だったよな」

まさか名前を覚えられていたとは正直驚いた。土方は目を瞬かせた後、肩を落として「何してるんだよ高杉」と仏頂面で言い放つ。

「へえ。俺の名前知ってたんだ」

「同じクラスだろ」

「始業式以来殆ど来てないけど」

「休むから目立つ時もあるだろ」

なるほど、と高杉は肩を揺らし笑った。

息を吐き土方もその横へと腰を下ろすと、胸ポケットから煙草を取り出し火をつける。

「優等生と思ってたけど煙草吸うんだな」

「別に優等生じゃねえよ。お前と違って毎日学校に来てるだけ」

皮肉っぽく言っても高杉は楽しそうに笑う。

思っていたより愛嬌があると知り、土方は内心少し安心した。

「学校来てたんなら授業も顔出せよ。追いつけなくなるぞ」

「そうだなァ…たまに此処で一緒に煙草吸ってくれるんなら」

は?と土方が思わず目を向ける。

「ヤニ仲間、欲しかったから」

ニコッと高杉は煙草を翳し笑った。

思わず咥えていた煙草を落としそうになったが、慌てて指で押さえる。そして「変な奴」と言い捨てた。

「剣道、してんのか?」

言われて、自分が胴着姿だったのを思い出す。

ああ、と返すと「部活サボって煙草かよ」と嫌味を言われる。

「ちょっとだけだよ。すぐ戻る」

ヤニ切れか、と高杉は鼻で笑った。

「近藤さんには言うなよ」

「近藤…?ああ、あのゴリラ顔した奴か」

「ゴリラじゃねえ。近藤さんだ」

「随分ご執心だねェ。同級生にさん付けとは」

「近藤さんにはちょっと恩があるからな…」

意味深な言葉に、にやにやしていた高杉の顔が引き締まる。

それに気付いて土方が少しだけ笑みを返した。

「中学の時、ちょっと荒れてた俺を更生させてくれたんだ。煙草はあの頃の名残。どうもこれだけは止められなくってな」

指に挟んだ煙草を見せ付けて、土方は少し恥ずかしそうにはにかんだ。

「だから、近藤さんには言うなよ。きっと悲しむ」

「それでなくても匂いでバレバレだろ」

「いや、バレてねえ」

「バレてるって」

「バレてねえ!」

そんな他愛もない言い合いを続けているうちに煙草は吸い終わり、二人は別れた。

あれから何度か放課後、密会のように人目を盗んで会い、二人で一服を楽しんだ。

高杉も最初の頃は土方との約束通り、授業にもちょくちょく顔を出すようになったが、ここ最近は授業どころか放課後の屋上にも顔を見せなくなった。

少し寂しく思っていた矢先、この話だ。

 

「ヤニ仲間なんでしょ。高杉と」

「な、何で知ってる」

驚いて敵視の目を向けると、銀八は「見たことあるから」と言って意地の悪い笑みを浮かべた。

「だ、だからって何で俺が…」

生徒の動向を探りたいなら、直接自分で聞けばいいじゃないかと続ければ、「連絡取れない」とばっさり断ち切られる。

「大学行きたいんでしょ、土方君」

「だからなんだよ」

「内申書に悪い事書かれたくなかったら、言う事聞いてよ」

「…っ」

痛い所を突かれ、土方は押し黙った。

「で、でもあいつが俺に正直に話してくれるとは思えないけど…」

高杉とは放課後の短時間だけを共有していただけの関係だ。

互いの素性とか過去とかあまり知らないし、そこは敢えて二人共話題にしなかった。時には無言で煙草だけを燻らせている日もあった。

今だけを楽しむ、それだけの空間だったのだ。

そんな友達とも呼べないような間柄で、高杉が私事を話すとは思えない。

「まあやるだけやってみてよ。教師より同級生になら話せるって事もあるだろ?ダメだったらダメでいいから」

土方は俯いたまま冷めたコーヒーを虚ろに見つめていた。

 

準備室を出た土方は、教室に着くなり鞄から携帯電話を取り出した。

そして登録していた高杉の名を探し表示させる。

高杉と話すようになって間もない頃、二人で教え合った番号だ。

メールでやり取りする事はあったが一度も電話はした事がない。

メールと言っても「早く来い」「今行く」等のたった一行の短い連絡だけだった。今思い返しても粗末な関係だったと思い知る。

意を決し、番号を押すと発信音が鳴り響いた。

電源を切っていなかった事に安堵はしたものの、なかなか取ってはくれない。

いつまで経っても鳴り止まない電子音に自然と溜息を漏らす。諦めて耳から携帯を離しかけた時、急に発信音が途切れて「はい」と言う高杉の声が聞こえてきた。

「た、高杉か?」

土方は思いの外興奮している自分を抑えつつ、もう一度聞き返した。

『土方?どうした』

少し驚いたような声で高杉が返してくる。

「い、いや…あの…お前がなかなか学校に来ないからどうしたのかと…」

異様に緊張している自分を滑稽に思いつつ、土方は不自然に笑い声を含ませた。

しかし電話の向こうの高杉は無言のままだ。

「なあ…今お前何処にいるんだ?」

『家だけど』

「ちょっと出て来れないか?聞きたい事がある」

『今言えよ』

短絡的な高杉の言葉は、焦りと悲観を煽る。

黙ってしまった土方に、高杉が小さく息を漏らした。

『じゃあお前が来い』

え、と土方が短く声を上げる。

『俺の家来いよ。場所は…』

高杉は土方の返答を待つまでもなくベラベラと自分の家の所在地を喋り始めた。

目印になる店や道順を頭に叩き込み、土方は分かったと頷き電話を切った。

 

それから土方は活気立っている剣道部の道場へ行き、今日は部活を休ませて欲しいと部長の近藤に頼みに行った。

具合が悪いからという嘘をまんまと信じ、快諾してくれた近藤に胸中謝りつつ、足早に校門を抜け高杉の家を目指す。

遊歩道を歩きながら、土方は複雑な気持ちを抱えていた。

決して銀八に脅されたからとかそう言う理由ではない。

あまりいい気はしないが、援交自体は土方にとってそんなに特別な事だとは思わなかった。

純情のふりをした女子生徒達が、裏で隠れて小遣い稼ぎにそれに励んでいるという噂を昔から何度も聞いている。決して珍しい事ではない。

ただ、あの噂が本当なら、高杉は男相手に援交をしていると思うとやりきれない気持ちになった。

自分の知る高杉という男が裏でそんな事をしていたという風説を一刻も早く否定して欲しかった。

思いは爆ぜり、運ぶ足が速度を増す。

 

到着したマンションの前で、土方は呆然とそれを見上げた。

――合ってる…よな?

とても高校生が住むようなマンションではない。

高杉は確か一人暮らしと言っていた。

これはどう見てもワンルームマンションとは思えない作りだ。

マンション名を何度も確認し、恐る恐る自動ドアを抜けてエントラスの前で立ちはだかるインターホンで部屋番号を押す。

直ぐに高杉が出て「どうぞ」と短く言った後、上階への自動ドアが開いた。

一体何階まで続くのだろうかというエレベーターを上がり、目的の部屋の前に行くと今更ながら唾を飲み込みインターホンを押した。

ドアが開き、久しぶりに見る高杉の姿に土方はほっと胸を撫で下ろした。

高杉の私服姿は初めて見るが、少し大人びた風の彼が印象付いていたせいか、ラフな格好の高杉は歳相応の男子に見えて些か親近感を持てた。

「入れよ」

背中を向けた高杉を見ながら、土方も靴を脱ぐと習うように家に上がった。

「コーラしかねえけど」

「ああ」

初めての家は緊張する。

ソファはあるが、何処に座っていいものか分からず立ち往生している土方に、両手にグラスを持った高杉がリビングに入ってきた。

「座れって」

「ああ…うん」

ソファには座らずにラグマットの上に腰を下ろし、なんだか落ち着かず土方はそわそわと目線を泳がせる。

クスリと笑い、高杉は土方の前に座るとコーラを一口飲んだ。

「お前…本当に一人で住んでるのか?」

窺うように土方が高杉に訊ねた。

「そうだけど」

「高校生が一人暮らしするような部屋じゃねえだろ」

「そうか?二部屋しかないぜ」

「それでもデカイって…」

余裕で十畳は越すであろうリビングに、あのドアの向こうには一体何畳の部屋が広がっているのだろう。

「それで、話ってなんだよ」

高杉はすぐに話を促しに入った。

ああと短く頷き、土方は丸めていた背を正した。

今は高杉の生活環境とかどうでもいいのだ。今日来たのは…

「お前に変な噂が流れてるんだけど」

「噂?」

高杉が隻眼の目を丸める。

土方は一つ息を吐くと、真面目な顔で真っ直ぐに高杉を見据えた。

「男相手に援交してる…って」

一瞬、二人の間に奇妙な沈黙が流れる。

その次の瞬間、突然高杉の高笑いが響き渡った。

その顔に、土方も肩を落として破顔する。

「援交…援交ねえ…」

輪唱しながらまだ笑っている高杉に、土方も同じように笑いながら言い募った。

「な?笑っちまうだろ?」

「あれも援交って言うのかねえ…」

「…は?」

あれという言葉に土方の口角が固まる。

「まあ小遣いは貰ってたしなぁ…援交か」

頭の先から蒼白して行く感覚。

信じたかった言葉は砂山のように呆気なく崩れて行く。

「ほ…本当なのか?」

「まあな。」

「てめ…何考えてんだよッ!!」

気付けば大声で怒鳴っていた。

驚いたのは高杉だ。ぽかんと呆けた顔で土方を見つめている。

「何怒ってんだよ」

「そんなの売春行為だぞ?分かってんのか!?」

「俺は男だぞ。操立ててどーすんだ」

「そんなに金が欲しかったのかよっ!?」

「金には困ってないけどあり過ぎても困らないだろ」

「高杉イィーーー!!」

もう何を言っていいか分からず土方は高杉の胸倉を掴んだ。

「てめえは学校休んでそんな事やってたのか!」

「学校は関係ねえよ。夜だし」

掴まれた胸倉が苦しくて、高杉は顔を顰める。

その顔に全く悪びれてない様子が窺えて、急に冷めた土方は弾かれるように高杉を突き飛ばした。

「…帰る」

それだけ言い立ち上がる。

鞄を取り、玄関に向かおうとした土方を高杉が呼び止めた。

「土方」

「ちょっとは友達になれたかもと思ってたのに、失望したぜ」

「ちょ…待てよ!」

高杉は立ち上がり、慌てて土方に歩み寄ると手首を掴んだ。

「離せよっ」

振り返った土方の目は怒りのせいか、仄かに赤く染まり潤んでいた。

その顔に高杉は息を止める。

感情のまま、高杉は土方の手を引いてもう一つの部屋へと向かった。

何事かと驚く土方を強引に引っ張り、ドアを開けると部屋の中に押し込む。

「た、高杉?」

「失望した…か」

そう呟くと高杉はいきなり土方をベッドに突き飛ばし、覆い被さった。

「何…っ?」

「俺が男たちと何してたか教えてやろうか、土方」

困惑して青い顔をする土方に、高杉は顔を寄せ唇を重ねた。

「…っ!やめ…っ」

驚いて押し退けようとするが、小柄で細身だと思っていた高杉は思ったよりも力強く土方を押さえ込んでくる。

「高杉…ッ!」

「お前はいいよなァ…」

「え…」

耳元で擽るように低い声で囁かれ、背中からひやりとした汗が流れる。

「汚れてないっていいな、土方…」

頬を擦られながら、土方は抵抗も忘れて唇を戦慄かせる。

口許は笑んでいるのに、冷たく無表情にさえ見える。

長い前髪の奥で辛うじて窺える、昏い色をしている高杉の隻眼。

こんな角度から男を見るのも初めてで、土方は訳の分からない焦燥感と恐怖に震え始めた。

「た、高杉…」

「なぁ土方…。俺、援交止めてもいいぜ」

「え…」

途端、土方は目を大きく見開いた。

「俺さァ…疼くんだよ。いつもいつも。もう病気かも知れねえ…」

病気という言葉に眉間に皺を寄せる。

「セックス依存症ってやつかな。やらないと落ち着かねえんだ」

「どうしたら…いいんだ?」

不安と、少し哀れんだような目をして土方が聞き返す。

高杉はにやりとほくそ笑むと、分かってんだろと呟いて土方の薄い唇を指でなぞった。 

「イかせてくれよ。その口で。俺の便所になれ」

「…っ!!」

瞬時、土方は顔を真っ赤にして固まった。

「出来ないか?だったら他の男に頼むしかねえな」

そう言って高杉は浅く息を吐くと土方の上から退いた。

ベッドを降りて背中を向けると「帰れ」と小さく声をかける。

しかし土方は立ち上がる事もなくじっと動かなかった。

暫く、耳に痛いほどの沈黙が続く。

何の動作も見せない土方に高杉が怪訝に思っていた時、分かったと、蚊の泣くような小さな声が聞こえてきた。

驚いて振り返った高杉の前で、土方はベッドのシーツを握り締め、強く睨み付けてきた。

「その代わり、約束しろ」

「え?」

「俺が便所になる代わりに、もう援交は止めろ」

「……」

「それから、学校にもちゃんと来い。授業も受けろ」

高杉はぽかんと呆けたまま土方を見ていた。

そのまま土方に近付き、ベッドに腰掛けて土方の手に己の手を重ねる。

一瞬びくっとした土方は、次には挑戦的な目を高杉に向けてきた。

「マジで言ってるのか…?」

確認するように問いかける。

「約束しろよ」

高杉の言葉など耳にも入ってないのか、土方の自分への決心を固めるようにそれだけを繰り返した。

「土方…」

ゆるゆると手を伸ばし頬に触れると、土方のきつい眼差しがぎゅっと閉じられて体を硬くした。

「…はは」

程なくして、高杉が突然乾いた笑いを漏らし始めた。

土方が驚いて顔を上げると、目を細めて笑みを浮かべている高杉と目が合う。

「変な奴だなァ…便所扱いされてまで俺に学校来て欲しいワケ?」

「……」

「それともあれか?友達だから?」

「…お前なんか友達じゃねえ」

凄む口調に一瞬怯んだ高杉は、不意をつかれて土方に押し倒された。

「……っ!」

「咥えればいいんだろ」

そう言うと、土方は高杉の短パンに手をかけ、下着ごと引き下ろした。

他人の男根をまじまじと見るのは初めてだ。

薄暗い部屋にも映えるほど、それは赤黒く現実を突きつけるように存在していた。

急に怖くなり、息を呑む。後悔さえ押し寄せてくる。

だが自ら口に出して言った以上、もう引き返せない。

土方は臆する自分を叱咤し、未だ何の反応もしていないそれをやんわり掴んだ。

「う…っ」

土方の手の平があまりに熱くて、思わず高杉が呻く。

しかし、それから土方は麻痺したように全く動かなくなった。

「…土方」

「……」

「土方、もういいよ」

え、と土方がぼんやりと顔を上げる。

「お前の気持ちは分かったから」

そう言うと、高杉は土方の手を取って自身から引き剥がした。

「で、出来るっ!俺は…」

「無理すんなよ。悪かった」

土方の肩を引き寄せ抱き締める。

「バカだな、お前。俺の安い挑発なんかに乗るなよ」

「高杉…」

「援交止めればいいんだろ。学校行って授業受ければいいんだろ」

「……」

「分かったよ。明日からちゃんと行くから」

「本当…に?」

「ああ」

その言葉に、初めて土方の体から力が抜けた。

「遅刻…すんなよ?」

「うん」

「ちゃんと最後までいろよ?」

「放課後も?」

高杉が体を離し、探るように土方の目を見て口角を上げる。

「…たりめーだろ」

「はは」

高杉は溜まらず笑いを漏らした。

「可愛いな、お前」

「男に可愛いって言うな」

「だって他に思い浮かばない」

「もういいから…その…」

土方はほんのりと頬を赤らめ目を泳がせている。

首を傾げる高杉に、「それしまえ」と小声で言ってきた。

あーはいはい、と高杉は剥き出しだった下肢に今更気付いたように、下ろされた下着とズボンを履き直した。

高杉が服を着直したのを確認すると、土方はほっとしたようにベッドを抜けて立ち上がった。

「じゃあ帰るわ」

「あ、ああ」

なんだか呆気なくて少し寂しい気がする。

かと言って引き止める理由など当然なく、出て行こうとする土方の背中をただ見ているしかなかった。

「あ、あのさ」

突然土方が少し紅潮した顔で振り返った。

「たまに、此処に遊びに来ていいか?」

「え…」

思いも寄らぬ科白に高杉は大きく目を見開いた。

「お、俺寮住まいだろ。門限煩いし消灯時間も早いし、たまに羽目外してみたくなるっつーか…」

「……」

「ダメか…?」

恐々と土方は上目遣いで窺ってくる。

「いいよ」

高杉がやんわり笑って答えると、次の瞬間土方はほっとしたように笑みを浮かべた。

それから、土方を玄関まで見送り二人は別れた。

再び部屋に戻り、出て行った土方の痕跡を探すように高杉は先程まで二人で座っていたベッドを見つめる。

――ちょっと惜しいことしたかな…。

胸中で少し残念そうに苦笑する。

「らしくねえなァ…」

独り言を呟き、高杉はベッドに大の字になって寝転がると自嘲するようにくつくつと笑った。

 

「おい、火貸せ」

カチカチと音がするだけのライターを弄び、苦い顔をした高杉が隣の土方に振り返った。

「ほらよ」

マヨネーズのデザインをしたライターから勢いよく火が出る。

「いい趣味してんな」

「だろ?」

嫌味のつもりだったが、土方はその言葉を真に受け自慢げに笑う。

溜息混じりに煙を吐き出すと、煙草の香りが一面に舞い上がり青さの残る空へと吸い込まれていく。

あれから一週間。

高杉は約束通り毎日登校し、放課後まで土方に付き合っている日々を送っている。

だが朝起きるのもそろそろ辛くなってきた。

一般生徒が毎日出来ることを、いつから自分はしんどく思ってきたのだろう。

「なあ土方ァ…」

「ああ?」

「お前、いつ俺んち来るの?」

土方は眉を上げて高杉を見た。

「何?来て欲しいのかよ」

「来て欲しいっつーか…暇っつーか…」

曖昧に言葉を濁せば「そのうちな」と素っ気無い返事が返ってくる。

「俺、土方の料理が食べたい」

「ああ、料理は得意だぜ。料理ってのはマヨネーズぶっかければ大概美味くなる」

「それは却下」

「なんでだよっ!マヨはすげーんだぞ!万物森羅万象において何にでも合うように…」

「あーはいはい」

高杉は全部聞くまでもないと手で制した。

「しかしなァ…俺にしちゃ頑張ってると思わねえ?」

唐突に飛んだ話に土方が目を向ける。

「遅刻なし。全授業制覇。放課後までお前に付き合ってさ」

「遅刻ギリギリ。授業全部寝てる。放課後はお前が来いって煩いからだろ」

ぎろりと睨めば、したり顔の土方と目が合う。チッと舌打ちを漏らし、高杉は煙草を深く吸い込んだ。

「援交はしてないんだろうな」

「ああ。さっぱりやめたよ」

「病気は?」

少し心配そうに訊ねてきた土方を見て、高杉は隻眼に僅かに艶を含ませた。

「じゃあいつものくれよ」

「…っ!」

途端、土方が赤面する。

それから暫く見詰め合った後、ゆっくりと土方が高杉の顔に近付いていった。

そして掠めるように唇を合わせる。

「…終わり?」

「…っ十分だろ…ッ!」

そう言うと土方はまだ半分も吸い終わっていない煙草を地面でもみ消し、素早く立ち上がった。そして照れを誤魔化すように言い繋ぐ。

「あ、明日も来いよな!」

「おう」

「サボッたらヤニ仲間解消だからなッ!」

分かった、とにこやかに答えれば、土方は益々真っ赤になってそっぽを向いた。

「ったく…変な友達持っちまったぜ」

「そりゃどうも」

ひらひらと手を振れば、土方は逃げるように去って行った。

くすりと小さく笑みを零し再び煙草を口にした時、

「病気って何よ?」

と、背後から第三者の声が聞こえてきた。

「…!銀八!」

心底驚いて飛び上がった高杉を、白衣を着た担任の銀八がニヤニヤとした笑みを乗せて姿を現した。

「て、てめえいつから…!」

「先生に対してその言葉遣いはよくないですよぉ。高杉君」

くすくす言いながら高杉の側に近寄り「で、病気ってなんなの」と繰り返す。

「…セックス依存症…のつもり」

「はあっ!?バカじゃねえの!」

銀八はこれ以上ない大声で笑い出した。

そして一通り笑った後、目を細めて高杉を見下ろす。

「お前は土方に構ってもらいたかっただけだろ」

図星を突かれ、高杉は息を詰めた。

「土方見てムラムラしちゃってたから、援交に走ってたんだろ。ったくこれだからガキは…」

「だから、もうしてねえって」

高杉が遮るように割と大声で言い被さる。

「うん。してないんならいいんだけどさ」

銀八は煙草を出して咥えると火をつけ、深く吸い込んだ。

「お前の病はあれだろ。恋の病」

「言うと思ったぜ。くっせー」

「国語教師だからねえ」

からかって見下ろした高杉の頭がやけに丸い。そんな所にも子供っぽさが見えて頬が緩む。

「夕暮れは 雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて」

「あん?」

「和歌だよ。『夕暮れには雲の果てまで物思いをする、遠いあの人を思って』って歌。今のお前にぴったりだろ?」

ハッと切り捨てるもの、高杉は習うように顔を上げ夕日を見つめた。

「土方君ねえ…。お前にしちゃ珍しくまだ手はつけてないみたいだな」

「…そんなに焦る事もないだろ」

「でもさぁ、もたもたしてたら取られちゃうよ」

挑発的に笑む担任教師に一瞬目を瞠った高杉は、その後強い眼差しで銀八を睨みつけた。

「てめえ…まさか土方狙ってやがんのか」

「さあね」

「教師が生徒に手ェ出していいと思ってんのか!」

「中学生のお前を食っちゃった前科持ちの俺だよ」

憮然と答える銀八に、一瞬高杉は顔を紅潮させて固まる。その後勢いつけて立ち上がると「帰る」と言って煙草の吸殻を靴で乱暴に地面に擦り付けた。

「おいおい、やめてよ屋上汚すのは」

「煙草教えたのはテメエだろ」

「その罪悪感があるから見逃してるんだろ」

これ以上聞く耳持たないとばかりに、高杉は踵を返した。

その高杉の後姿を横目で見ながら最後の警告とばかりに声を発する。

「土方は手強いぜ。狙ってる奴結構いるよ。近藤に沖田に…山崎も怪しいな」

てめえもな、と付け加えると人事のように銀八が笑い出した。

「ま、精々頑張れよ」

フンと鼻を鳴らし、高杉は足並み荒く去って行った。

小さな背中を見届けた後、銀八は携帯灰皿に煙草の吸殻を仕舞い呟いた。

「これだからガキ見てるのは飽きないんだよなぁ」

己の安らぎや癒しのためではなく、本能のままに突っ走る青き血潮。

若いってのは羨ましいと思う。

その時、プルルとポケットの中の携帯電話が音を立てた。

「辰馬?何だよ。…合コン?ナース!?勿論行く行く…」

と言いかけて暫し口を閉ざす。その後「やっぱり今日はいいや」と返した。

驚く同僚に向けて、銀八はオレンジ色の夕焼け空を見上げ呟く。

「今日は夕日を見てたそがれたい気分なんだよねぇ。少年のように」

何かまた喚いていた携帯を無理矢理切り、銀八は自嘲気味に笑った。【終】

 



あとがき

はじめて書いた3Z設定。高杉と土方の関係を妄想すると何処までも飛んで行けます()そこに銀八先生とか絡んだら楽しい。ちょっと触り程度に書きましたが、銀八先生と高杉にはちょっとした過去あり。この話はどうやら三角関係になりそうですね(人事か)続きいつか書くと思います。その時は土方君を押し倒せる根性を養ってるといいですね、高杉君()


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